橘逸勢

(たちばなのはやなり)
📍 近畿京都府 京都市中京区🎭 文化🏯 歴史

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【概要】

橘逸勢は平安時代の初めに活躍した官人で、空海と同じ遣唐使の船で唐に渡りました。唐の文人から橘秀才とたたえられたと伝わり、隷書を得意としたといわれます。承和9年(842年)の承和の変で罪に問われ、伊豆へ流される途中で亡くなりましたが、のちに無実とされ、御霊として祀られるようになりました。京都の下御霊神社には、八所御霊の一柱として祀られています。

【歴史】

延暦23年(804年)、橘逸勢は空海と同じ遣唐使の船に乗って唐へ渡りました。言葉の壁に苦労しながらも書や琴を学び、大同元年(806年)に空海とともに帰国しています。しかし承和9年(842年)、皇太子の恒貞親王をめぐる承和の変で謀反に加わったとされ、伊豆国への流罪が決まりました。護送の途中、遠江国の板築駅で生涯を閉じています。

【特徴】

橘逸勢の書は、唐の人々に橘秀才と呼ばれたという逸話とともに名高いものの、確実に本人の筆と言える作品はいまのところ確認されていません。代表作とされる伊都内親王願文も伝橘逸勢筆の扱いで、桓武天皇の皇女である伊都内親王が、亡き母の遺志により山階寺(興福寺)へ田地などを寄進した際の願文です。大らかで自由奔放な筆致が見どころとされます。

【見どころ】

京都府京都市中京区にある下御霊神社は、貞観5年(863年)に平安京の神泉苑で行われた御霊会に由来すると伝わる神社です。非業の死を遂げた人々の霊を鎮める御霊信仰の社で、橘逸勢は橘大夫の名で八所御霊の一柱として祀られています。京都御苑の南東に近い寺町通に面した境内は、町なかにありながら落ち着いた雰囲気に包まれています。

【トリビア】

伊豆へ流される父に娘が付き従い、遠江国で父が亡くなると、その地にとどまって尼となり菩提を弔ったという話が伝わっています。逸勢は没後10年ほどで無実とされて元の位に戻されました。伊都内親王願文の原本は江戸時代に近衛家が秘蔵し、のちに宮内庁へ献納されています。江戸時代中期には近衛家熈による精巧な臨模も作られました。

📅 最終更新: 2026/10/25
橘逸勢
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です