三筆は、平安時代の初めに書の名手として並び称された空海・嵯峨天皇・橘逸勢の三人を指します。三人はいずれも唐の書風を深く学び、漢字の書が最も重んじられた時代を代表する存在でした。この三人をまとめて三筆と呼ぶようになった時期ははっきりせず、それほど古くはないとされます。江戸時代の寛永の三筆や、平安時代中期の三蹟(小野道風・藤原佐理・藤原行成)は別の名数です。
A.三人はいずれも唐の書風を深く学び、平安時代の初めに書の名手として並び称された点が共通しています。空海と橘逸勢は延暦23年(804年)に同じ遣唐使の船で唐へ渡り、大同元年(806年)にともに帰国しました。嵯峨天皇は唐の文化を重んじて宮廷に漢詩文を広め、空海とは書や詩を通じて親しく交わりました。
A.空海・嵯峨天皇・橘逸勢の三人をまとめて三筆と呼ぶようになった時期ははっきりせず、それほど古くはないとされます。三人が活躍したのは平安時代の初めで、いずれも漢字の書が最も重んじられた時代を代表する存在でした。
A.三筆は平安時代の初めの空海・嵯峨天皇・橘逸勢を指し、三蹟は平安時代中期の小野道風・藤原佐理・藤原行成を指す別の名数です。江戸時代の寛永の三筆も、平安時代の三筆とは別の名数です。三筆の三人は、いずれも唐の書風を深く学んだ点に特色があります。
A.空海の代表作は、比叡山の最澄に宛てた書状3通を1巻にまとめた国宝の風信帖です。嵯峨天皇の書として確かなものは、僧の光定に与えた国宝の光定戒牒だけとされます。橘逸勢は確実に本人の筆と言える作品が確認されておらず、代表作とされる伊都内親王願文も伝橘逸勢筆の扱いです。
A.三筆ゆかりの寺社は、いずれも京都府京都市にあります。空海が任された東寺は南区、嵯峨天皇の離宮だった嵯峨院を寺に改めた大覚寺は右京区、橘逸勢を八所御霊の一柱として祀る下御霊神社は中京区にあります。直線距離では東寺と下御霊神社が約4km、大覚寺はほかの二か所からそれぞれ約8km離れています。