【概要】
嵯峨天皇は、桓武天皇の皇子として延暦5年(786年)に生まれた第52代の天皇です。唐の文化を重んじて宮廷に漢詩文を広め、空海とは書や詩を通じて親しく交わりました。書の確かな遺品は国宝の光定戒牒だけとされ、引き締まった筆づかいに唐の書の学びがうかがえます。譲位後に暮らした離宮の嵯峨院は、のちに京都の大覚寺となりました。
【歴史】
嵯峨天皇は大同4年(809年)に兄の平城天皇から位を譲られ、弘仁14年(823年)まで在位しました。即位の翌年に起きた平城上皇との対立、いわゆる薬子の変を収めて政治を安定させ、蔵人所や検非違使を置いたことでも知られます。漢詩を好み、勅撰の漢詩集である凌雲集や文華秀麗集を編ませるなど、唐風の文化が花開く時代を築きました。
【特徴】
嵯峨天皇の書として確かなものは、弘仁14年(823年)に延暦寺で大乗戒を受けた僧の光定に与えた光定戒牒だけとされ、延暦寺に伝わって国宝に指定されています。前半は唐の欧陽詢を思わせる厳しい筆づかいで、後半はやわらかく伸びやかな書きぶりに変わり、空海の影響が大きいとみられています。天皇がみずから筆をとった宸翰としても特に古い一例です。
【見どころ】
京都府京都市右京区にある大覚寺は、嵯峨天皇の離宮だった嵯峨院を、貞観18年(876年)に皇女の正子内親王が寺に改めたものです。境内の東に広がる大沢池は嵯峨院の庭池で、唐の洞庭湖に見立てて造られたと伝わり、国の名勝に指定されています。池の北には百人一首に詠まれた名古曽の滝の跡が残り、秋には舟を浮かべて月を眺める催しも開かれます。
【トリビア】
嵯峨天皇は空海の勧めで般若心経を書き写したと伝えられ、その写経は大覚寺に勅封として納められています。60年に一度、戊戌の年にだけ開封される習わしで、写経から1200年にあたる2018年には初めて一般に公開されました。大覚寺が写経の寺として知られるのはこの由来によるもので、いまも参拝者が般若心経を書き写せる写経の場が設けられています。
