【概要】
空海は、宝亀5年(774年)に讃岐国で生まれた真言宗の開祖で、没後に弘法大師の名を贈られました。遣唐使とともに唐へ渡って密教を学び、書でも唐の名筆を吸収して、最澄に宛てた書状をまとめた国宝の風信帖を残しました。弘仁14年(823年)に嵯峨天皇から京都の東寺を任され、ここを真言密教の根本道場としました。「弘法も筆の誤り」のことわざでも知られる人物です。
【歴史】
空海は延暦23年(804年)に遣唐使の船で唐へ渡り、長安の青龍寺で恵果から密教の奥義を授かりました。同じ船には橘逸勢も乗っており、のちに三筆と呼ばれる二人が同じ時期に唐の文化に触れたことになります。大同元年(806年)に帰国したのちは嵯峨天皇の信任を得て、高野山を開き、東寺を賜りました。承和2年(835年)に高野山で入定しています。
【特徴】
空海の書は、王羲之の流れをくむ端正な楷書や行書から、かすれを生かした飛白体まで幅広く、一人で多くの書体を自在に使い分けた点に特色があります。代表作の風信帖は、比叡山の最澄に宛てた書状3通を1巻にまとめたもので、第1通の書き出しの言葉から名づけられました。もとは5通あったとされ、のびやかな行書に二人の親しい交流がにじみます。
【見どころ】
京都府京都市南区にある東寺では、高さ約55メートルの五重塔が境内の東南に立ち、木造の塔として日本一の高さを誇ります。現在の塔は4度の焼失を経た5代目で、寛永21年(1644年)に徳川家光の寄進で建てられました。塔には空海が唐から持ち帰った仏舎利が納められているとされます。風信帖は延暦寺に伝わったのち、文和4年(1355年)に東寺へ納められました。
【トリビア】
「弘法も筆の誤り」ということわざは、空海が平安京の応天門の額を書いたとき、「応」の字の点を一つ書き落としたという伝説に由来するとされます。「弘法筆を選ばず」という言葉も、書の名手としての評判から生まれました。東寺では空海の月命日にあたる毎月21日に縁日が開かれ、弘法さんの名で親しまれて、多くの露店と参拝者でにぎわいます。
