【概要】
長崎の崇福寺の門に掛かる「第一峰」の三文字を書いたのが、明から来た禅僧の即非如一です。隠元隆琦の高弟として明暦3年(1657年)に来日し、のちに小倉藩主の小笠原忠真に招かれて、福岡県北九州市小倉北区にある広寿山福聚寺を開きました。奔放で気迫に満ちた書は、黄檗の三筆のなかでもとりわけ人気が高いといわれます。
【歴史】
即非如一は1616年、隠元と同じ明の福建省福清に生まれ、師の招きに応じて明暦3年(1657年)に長崎へ渡りました。崇福寺に住んで伽藍を整え、のちに中興開山と仰がれます。その後は宇治の萬福寺で首座を務め、帰国の途中に小倉藩初代藩主の小笠原忠真に招かれて、寛文5年(1665年)に福聚寺を開きました。晩年は崇福寺に戻り、寛文11年(1671年)に56歳で没しています。
【特徴】
即非如一の書は、筆を紙に叩きつけるような勢いと、墨の濃淡や線の太さの大きな振れ幅が特徴で、三筆のなかで最も奔放と評されます。草書や行書の大きな字を得意とし、字形を大胆に崩しながらも全体に張りつめた緊張感が漂います。禅の境地をそのまま筆に託したような墨蹟は茶席の掛物としても好まれ、九州をはじめ各地の寺や美術館に作品が伝わっています。
【見どころ】
福岡県北九州市小倉北区にある福聚寺は、足立山の麓に広がる小倉藩主小笠原家の菩提寺です。幕末の慶応2年(1866年)の戦火で伽藍の多くが失われましたが、享和2年(1802年)に再建された本堂は今も残り、黄檗寺院らしい落ち着いた趣を伝えています。境内の奥には小笠原家歴代の廟所が並び、木々に囲まれた寺域には町なかとは思えない静かな時間が流れています。
【トリビア】
長崎の崇福寺にある国宝の第一峰門には、即非が書いた「第一峰」の額が掲げられ、その字がそのまま門の名前になりました。崇福寺の裏山には、火葬した即非の遺骨の半分を納めた舎利塔も残っています。即非のゆかりの地は小倉と長崎の二つの町にまたがっており、両方を訪ねると、来日から福聚寺の開山、そして晩年に至るまでの足跡を順にたどることができます。
