木庵性瑫

(もくあんしょうとう)
📍 関東東京都 港区🎭 文化🏯 歴史

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【概要】

木庵性瑫は、師の隠元隆琦の後を継いで宇治の萬福寺の第二代住持となった明の禅僧です。江戸では東京都港区にある瑞聖寺の開山となり、黄檗宗を江戸と東国へ広める足がかりを築きました。端正さと勢いをあわせ持つ書は、隠元・即非と並んで黄檗の三筆に数えられ、宇治の萬福寺をはじめ各地の寺院に扁額や聯が伝わっています。

【歴史】

木庵性瑫は1611年に明の泉州晋江で生まれ、幼くして両親を失って仏門に入り、のちに隠元隆琦の教えを受けました。師の渡来の翌年にあたる明暦元年(1655年)に長崎へ来て、寛文4年(1664年)には隠元から萬福寺の住持を譲られ、第二代となります。寛文10年(1670年)には江戸の白金に瑞聖寺を開き、1684年に74歳で世を去りました。

【特徴】

木庵性瑫の書は、師の大らかさを受け継ぎながら、線の引き締まった格調の高さで知られます。萬福寺の大雄宝殿の下層に掲げられた「萬徳尊」の額は木庵の筆で、上層の師の額と一つの建物の上下に並ぶ姿は、黄檗の書の系譜をそのまま映しているようです。住持を務めた時代には伽藍の整備が進み、延宝6年(1678年)建立の三門もこの時期に完成しました。

【見どころ】

東京都港区にある瑞聖寺は、白金台駅のすぐそばに建つ江戸で最初の黄檗宗の寺院です。寛文10年(1670年)に木庵を開山として開かれ、伽藍は摂津麻田藩主の青木重兼によって建てられました。宝暦7年(1757年)に再建された大雄宝殿は明朝の様式を伝える仏殿で、国の重要文化財です。2018年には隈研吾の設計による庫裡も完成し、新旧の建築が並んでいます。

【トリビア】

木庵性瑫の門下からは、一切経の版木を彫り上げた鉄眼道光や、各地に黄檗の寺を開いた鉄牛道機など、多くの日本人の僧が育ちました。鉄眼の一切経の版木は萬福寺の塔頭である宝蔵院に今も伝わり、そこに刻まれた字形は、現在の印刷で使われる明朝体の源流の一つといわれます。木庵の教えは、書だけでなく出版の文化にまで広く及んだのです。

📅 最終更新: 2026/11/6
木庵性瑫
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です