江戸時代の前期、明から海を渡ってきた黄檗宗の禅僧のうち、書の名手として名高い隠元隆琦・木庵性瑫・即非如一の三人を黄檗の三筆と呼びます。師の隠元と二人の高弟による大陸風の力強い墨蹟は、平安時代以来の和様の書に親しんでいた人々に新鮮な驚きを与え、のちの唐様の書の流行にもつながったとされます。平安時代初めの三筆や、江戸時代初めの寛永の三筆とは別の名数です。
A.隠元隆琦が師で、木庵性瑫と即非如一はその高弟です。隠元は承応3年(1654年)に明から長崎へ渡り、木庵は翌年の明暦元年(1655年)に長崎へ来て、即非は師の招きに応じて明暦3年(1657年)に来日しました。木庵は寛文4年(1664年)に隠元から宇治の萬福寺の住持を譲られて第二代となり、即非は萬福寺で首座を務めています。
A.隠元隆琦は太い筆を大きく運ぶ堂々とした行書や草書、木庵性瑫は師の大らかさを受け継ぎながら線の引き締まった格調の高さ、即非如一は筆を紙に叩きつけるような勢いと墨の濃淡の大きな振れ幅が持ち味です。即非の書は三筆のなかで最も奔放と評され、黄檗の三筆のなかでもとりわけ人気が高いといわれます。
A.宇治の萬福寺や長崎の崇福寺で、三人の筆による額を見られます。萬福寺の三門の「黄檗山」「萬福寺」は隠元隆琦が生前に書いた字を没後に掲げたもので、大雄宝殿の上層の「大雄寶殿」は隠元の筆と伝わり、下層の「萬徳尊」は木庵性瑫の筆です。崇福寺の国宝の第一峰門には、即非如一が書いた「第一峰」の額が掲げられています。
A.黄檗の三筆は、江戸時代の前期に明から渡ってきた黄檗宗の禅僧の隠元隆琦・木庵性瑫・即非如一を指し、平安時代初めの三筆や江戸時代初めの寛永の三筆とは別の名数です。三人の大陸風の力強い墨蹟は、平安時代以来の和様の書に親しんでいた人々に新鮮な驚きを与え、のちの唐様の書の流行にもつながったとされます。
A.三人が開いた寺は京都府・東京都・福岡県に分かれています。隠元隆琦が開いた宇治市の萬福寺、木庵性瑫が開山となった港区の瑞聖寺、即非如一が開いた北九州市小倉北区の福聚寺は、直線距離で萬福寺と瑞聖寺が約360km、萬福寺と福聚寺が約460km、瑞聖寺と福聚寺が約830km離れています。