【概要】
承応3年(1654年)に明の福建省から長崎へ渡ってきた禅僧が隠元隆琦です。京都府宇治市にある黄檗山萬福寺を開いて日本の黄檗宗の祖となり、大らかで力強い書は、弟子の木庵性瑫・即非如一とともに黄檗の三筆として尊ばれています。インゲンマメや普茶料理を伝えた人物としても、その名は今も日々の暮らしの中に残っています。
【歴史】
隠元隆琦は明の福建省福州府福清県に生まれ、故郷の黄檗山萬福寺で住持を務めた高僧でした。長崎の唐寺から再三の招きを受け、承応3年(1654年)に弟子たちを連れて海を渡ります。数年で帰国するつもりでしたが、四代将軍徳川家綱から宇治に土地を与えられ、寛文元年(1661年)に故郷と同じ名の萬福寺を開きました。寛文13年(1673年)にこの地で生涯を閉じています。
【特徴】
隠元隆琦の書は、太い筆を大きく運ぶ堂々とした行書や草書が持ち味で、明の禅林の気風をそのまま伝えるものとして迎えられました。平安時代以来の和様の書に慣れた人々にとって、その大陸的な筆づかいはとても新鮮に映りました。一行書や額字が数多く残り、黄檗の墨蹟は禅寺の床の間や茶席を飾る掛物として、今も大切に受け継がれています。
【見どころ】
京都府宇治市にある萬福寺は、明の寺院の様式で建てられた伽藍が今に残り、門をくぐると異国の寺を訪ねたような空気に包まれます。三門に掛かる「黄檗山」「萬福寺」の額は、隠元が生前に書いた字を没後に掲げたものです。寛文8年(1668年)に建てられた大雄宝殿は天王殿・法堂とともに2024年に国宝となり、上層の「大雄寶殿」の額も隠元の筆と伝わります。
【トリビア】
インゲンマメは、隠元が中国から持ってきたことにちなんで名づけられたと伝えられます。ただし、実際に持ち込んだのは別の豆だったという説もあります。大皿の料理を卓で囲んで取り分ける精進料理の普茶料理や、煎茶の習慣も黄檗僧とともに広まったとされます。萬福寺の回廊に吊るされた魚の形の開梆は、食事や行事の時を知らせる鳴り物で、木魚の原形といわれています。
