【概要】
士学館は、鏡新明智流の桃井家が営んだ剣術道場で、四代目の桃井春蔵直正の時代に江戸三大道場のひとつに数えられました。掘割に面した蜊河岸、今の中央区新富付近にあったことから、あさり河岸の桃井とも呼ばれます。品格を重んじる剣風は後世に「位は桃井」と評されました。土佐藩の武市半平太が塾頭を務めたとされ、跡地の近くには中央区教育委員会の説明板が立っています。
【歴史】
鏡新明智流は桃井八郎左衛門直由が江戸時代の中ごろに開いた流派で、直由は日本橋南茅場町に道場を構えて士学館と名づけたとされます。二代目の直一の代に南八丁堀大富町の蜊河岸へ移り、ここが士学館の名を広めた土地になりました。幕末に道場を率いた四代目の桃井春蔵直正は、のちに幕府の講武所で剣術の教授方を務めたとされ、名門としての地位を固めました。
【特徴】
士学館の剣は、構えや所作の美しさと、相手を圧する品格を重んじたといわれ、ここから「位の桃井」という評が生まれました。四代目の春蔵直正は養子として桃井家を継いだ人物で、温厚な人柄も門人を引きつけたと伝えられます。道場には土佐藩の若者が多く集まり、武市半平太が塾頭を務めたとされるほか、のちに人斬りとして名を残す岡田以蔵も、武市に連れられて入門したといわれます。
【見どころ】
士学館の説明板は、中央区銀座一丁目の京橋公園の一角に立っています。道場があった蜊河岸は、すぐ近くの今の新富付近とされますが、かつての掘割の多くは埋め立てられ、いまは高速道路やオフィスビルが並んでいます。江戸の河岸の面影はほとんど残っていませんが、小さな説明板を手がかりに、土佐の志士たちが通った道場の位置を思い描きながら歩くことができます。
【トリビア】
士学館の流派名は鏡心明智流と書かれることもあり、小説や時代劇ではこちらの表記を見かけることがあります。門人には上田馬之助の名も伝わり、土佐藩の田中光顕も若いころここで修行したといわれます。田中はのちに宮内大臣を務めました。同じ土佐の坂本龍馬が千葉定吉の道場で北辰一刀流を学んだのに対し、武市半平太とその周りの若者たちは桃井の門に集まりました。