玄武館

(げんぶかん)
📍 関東東京都 千代田区🏯 歴史

#アフィリエイト広告 このページには広告(アフィリエイトリンク)が含まれています

【概要】

玄武館は、北辰一刀流を開いた千葉周作が神田お玉ヶ池に構えた剣術道場で、江戸三大道場のひとつに数えられます。合理的な教え方で数千人ともいわれる門人を集め、後世には「技は千葉」と評されました。建物は残っておらず、東京都千代田区にある神田東松下町の一角、都営新宿線の岩本町駅の近くに、玄武館の跡を伝える碑と案内板が立っています。

【歴史】

千葉周作は、家に伝わる北辰夢想流に、江戸で修めた中西派一刀流の教えを合わせて北辰一刀流を立てました。1822年に日本橋品川町で道場を開き、1825年に神田お玉ヶ池へ移して玄武館と名づけたとされます。のちに周作は水戸藩に召し抱えられ、子の栄次郎らも腕の立つ剣士として知られました。周作が世を去ったあとも、玄武館は幕末まで江戸屈指の道場として門人を集め続けました。

【特徴】

玄武館の稽古は、竹刀と防具を使った打ち込みを重んじ、技の理屈を言葉で説いて教えた点に特色がありました。それまでの流派で何段にも分かれていた免許の階梯を三段階にまとめ、修業の道筋をわかりやすくしたことで知られます。こうした合理的な指導が評判を呼び、各藩から若い藩士が集まりました。門人には、のちに浪士組を率いた清河八郎や、幕臣の山岡鉄舟らが名を連ねています。

【見どころ】

神田東松下町の碑は、旧小学校の校庭の脇にひっそりと立ち、隣の案内板が玄武館の歩みを紹介しています。東京都の案内では、碑の場所は大名屋敷の跡にあたり、実際の道場は少し西の交差点付近にあったとされます。近くの岩本町二丁目には、地名の由来となったお玉ヶ池の跡を伝える碑とお玉稲荷があり、あわせて歩くと、江戸の町割りが今の街並みに重なって見えてきます。

【トリビア】

坂本龍馬も北辰一刀流を学びましたが、通ったのは玄武館ではなく、周作の弟の千葉定吉が京橋桶町に開いた道場でした。お玉ヶ池の玄武館を大千葉、桶町の道場を小千葉と呼び分けることもあります。また、玄武館の近くには1858年に蘭方医たちが開いたお玉ヶ池種痘所があり、のちの東京大学医学部の源流とされています。剣術と医学の拠点が隣り合っていた界わいです。

📅 最終更新: 2026/11/8
玄武館
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です