斎藤道三

(さいとうどうさん)
📍 中部岐阜県 岐阜市🏯 歴史

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【概要】

斎藤道三は、美濃の守護土岐氏の家臣から身を起こし、主君を追って美濃一国の主となった戦国大名です。油売りから一代で国を盗ったという話で知られますが、近年は父の長井新左衛門尉との父子二代の出世とする説が有力です。稲葉山城を本拠とし、娘を織田信長に嫁がせましたが、1556年に子の義龍と戦って長良川の河畔で討たれました。

【歴史】

斎藤道三の名を高めたのは、美濃守護の土岐氏に仕えて重臣の家を次々と乗っ取り、ついに主君の土岐頼芸を国外へ追った下剋上です。その後、娘の帰蝶を尾張の織田信長に嫁がせて隣国と手を結びました。しかし家督を譲った嫡男の義龍と対立し、1556年の長良川の戦いで義龍の大軍に敗れて命を落とします。美濃を手にしてから二十年に満たない支配でした。

【特徴】

京都の寺の僧から油商人となり、武士に転じて一代で美濃を盗ったという道三の物語は、江戸時代の軍記や小説で広まりました。ところが昭和の岐阜県史の編纂で見つかった六角承禎の書状により、僧から武士への出世は父の長井新左衛門尉のもので、道三はそれを継いで国主に上りつめたとする父子二代説が唱えられ、いまでは有力な見方になっています。

【見どころ】

道三が本拠とした稲葉山城は、岐阜県岐阜市にある金華山の山頂に築かれた山城で、のちに信長が岐阜城と改めました。現在の天守は1956年に再建されたもので、耐震工事のため休館している時期もあります。ふもとの岐阜公園からはロープウェーが通じ、長良川のほとりには道三を葬ったと伝わる道三塚があります。菩提寺の常在寺とあわせて歩けます。

【トリビア】

道三は娘婿の信長と尾張の正徳寺で初めて対面し、うつけと噂された婿がきちんとした正装で現れたことに驚いたという逸話が伝わります。長良川の戦いの直前には、美濃を信長に譲るという内容の国譲り状を書いたとも言われますが、その真偽ははっきりしていません。マムシの異名で呼ばれることが多いものの、同時代の史料にこの呼び名は見えないとされています。

📅 最終更新: 2026/11/3
斎藤道三
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です