尾張徳川家

(おわりとくがわけ)
📍 中部愛知県 名古屋市🏯 歴史⛰️ 名所

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【概要】

尾張徳川家は、徳川家康の九男義直を祖とし、名古屋城を居城に尾張一国などを治めた御三家の筆頭です。石高は61万9500石で御三家のうち最も大きく、家格も最上位とされました。将軍を一人も出さなかった一方、七代宗春は倹約を説く八代将軍吉宗に逆らって祭りや芝居を奨励し、名古屋の町に活気をもたらしました。家に伝わった大名道具は、いまも徳川美術館で受け継がれています。

【歴史】

尾張徳川家の祖となる徳川義直は1600年に生まれ、1607年に兄の松平忠吉が亡くなったあとを受けて尾張の清洲に封じられました。家康は1610年に諸大名を動員する天下普請で名古屋城の築城を始め、城下には清洲の町ごと人や寺社を移す清須越が行われます。義直は1616年に名古屋へ入り、以後明治維新まで十六代にわたって尾張藩を治めました。幕末の十四代慶勝は新政府の側に立っています。

【特徴】

尾張徳川家は61万9500石を領し、尾張一国に美濃や三河の一部、木曽の山林までを抱えた御三家の筆頭でした。木曽の檜は藩の大きな財源となり、伐採を厳しく禁じた「木一本首一つ」という言葉が残ります。藩主は大納言まで昇る家格を持ちましたが、将軍の跡継ぎ争いでは紀州家に後れを取り、一人も将軍を出しませんでした。七代宗春は吉宗の倹約政策に反して規制を緩め、名古屋を大いににぎわせました。

【見どころ】

尾張徳川家ゆかりの徳川園は、二代藩主光友が1695年に隠居所として営んだ大曽根屋敷を起こりとする庭園です。明治以降は尾張徳川家の邸宅となり、1931年に十九代当主義親が名古屋市へ寄付しました。空襲で建物の多くを失ったのち、池泉回遊式の日本庭園として整え直されて2004年に開園しています。隣の徳川美術館には国宝の源氏物語絵巻をはじめ、家に伝わった大名道具が収められています。

【トリビア】

名古屋城の天守に載る金の鯱は尾張徳川家の権威の象徴として知られ、藩の財政が苦しい時期には鱗の金の純度を落として改鋳したという話が伝わります。尾張家は本家の血筋が絶えると、分家の高須松平家などから養子を迎えて家を保ちました。幕末の十四代慶勝とその弟たちは高須四兄弟と呼ばれ、尾張・会津・桑名などの藩主となって、それぞれが激動の時代の当事者になりました。

📅 最終更新: 2026/10/25
尾張徳川家
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です