【概要】
中村一氏は近江の出身とされる武将で、生年ははっきりしていません。秀吉に仕えて紀州の勢力に備えた和泉の岸和田城や、近江の水口岡山城を任され、1590年の小田原攻めののちは駿河一国を与えられて駿府城に入りました。後世には三中老の一人とされますが、その職制は同時代の史料では確かめにくいとされます。関ヶ原の直前に病で世を去りました。
【歴史】
中村一氏は秀吉に早くから仕え、紀州攻めの前には和泉の岸和田城を預かって根来や雑賀の勢力に備えました。1585年の紀州攻めののちは近江の水口へ移り、1590年の小田原攻めでは伊豆の山中城の攻略で働いています。その後、駿河一国を与えられて駿府城主となりました。1600年、関ヶ原の戦いの直前に病で没し、子の一忠が東軍に加わって伯耆の米子へ移っています。
【特徴】
中村一氏は、徳川家康が関東へ移ったあとの駿府に置かれ、東海道の要所で家康の領地と向き合う役目を担った大名です。後世の書物では、五大老と五奉行の間を取り持つ三中老の一人とされてきました。ただ、同時代の文書にはそうした役職名がはっきり見えず、後世の呼び名とする見方が有力です。駿府での治世は十年ほどで、その姿はあまり知られていませんでした。
【見どころ】
中村一氏が治めた駿府城の跡は、静岡県静岡市葵区にある駿府城公園として整備されています。2016年から行われた天守台の発掘調査で、家康の時代の天守台の内側から、自然石を積んだ別の天守台の石垣が見つかりました。出土した石垣は見学できるよう整備が進められ、家康の時代の石垣と見比べると、城が二度にわたって築かれた様子をたどれます。公開の方法は変わることがあります。
【トリビア】
駿府城の天守台の周りからは、金箔で飾った瓦が三百点以上も出土しました。造り方に豊臣の時代の特徴があり、中村一氏が城主だった1590年から1600年ごろに葺かれたものと考えられています。秀吉の後押しを受けた一氏が、家康の旧領ににらみをきかせる豪華な城を築いたとみる専門家もいます。それまで目立たなかった一氏の城が、発掘で見直されることになりました。