堀尾吉晴

(ほりおよしはる)
📍 中国島根県 松江市🏯 歴史

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【概要】

堀尾吉晴は1543年に尾張で生まれ、若いころから秀吉に仕えて各地を転戦した武将です。穏やかな人柄から仏の茂助と呼ばれたと伝わり、1590年に遠江の浜松城主となりました。関ヶ原ののちは子の忠氏とともに出雲・隠岐に移り、松江城と城下町を築いています。後世には三中老の一人とされますが、その職制は同時代の史料では確かめにくいとされます。

【歴史】

堀尾吉晴は尾張の丹羽郡に生まれ、織田家に仕えるなかで秀吉の配下となりました。山崎の戦いや小田原攻めなどで働き、1590年に遠江の浜松城主となります。関ヶ原の直前、三河の池鯉鮒で開かれた酒宴で刃傷沙汰に巻き込まれて傷を負い、本戦には子の忠氏が東軍として加わりました。その功で忠氏は出雲・隠岐を与えられ、父子で月山富田城に入っています。

【特徴】

堀尾吉晴は、合戦での勇ましさと温厚な人柄をあわせ持った人物と伝えられ、通称の茂助にちなんで仏の茂助と呼ばれました。後世の書物では、五大老と五奉行の仲立ちをする三中老の一人とされます。けれども同時代の文書にはそうした役職名がはっきり見えず、後世に生まれた呼び名とする見方が有力です。晩年は幼い孫の忠晴を支えて堀尾家を守りました。

【見どころ】

堀尾吉晴が孫の忠晴とともに築いた松江城は、島根県松江市にある亀田山の上に建ち、天守が国宝に指定されています。山あいの月山富田城から、宍道湖に近い平地へ拠点を移す大工事で、城と同時に堀や町割りも整えられました。黒い板張りの外壁が重なる天守は江戸時代から残るもので、最上階からは宍道湖や城下の家並みを見渡せます。

【トリビア】

松江城の天守は、築かれた年がはっきりしないことが長く課題でしたが、慶長16年の年号が入った祈祷札が見つかり、1611年の完成が裏付けられました。これが決め手の一つとなって、2015年に天守が国宝に指定されています。堀尾吉晴は完成の年に世を去り、天守の姿を見届けたかどうかは定かではありません。浜松城の天守台も、吉晴の時代に整えられたとする説があります。

📅 最終更新: 2026/11/8
堀尾吉晴
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です