【概要】
明和の大火は、明和九年にあたる1772年の旧暦2月29日に、目黒行人坂の大円寺から出た火が江戸の中心部を焼いた大火で、目黒行人坂の大火とも呼ばれます。火元の大円寺は東京都目黒区下目黒一丁目にあり、JR目黒駅から行人坂を下った途中に建っています。南西の強風に乗った火は麻布や芝から日本橋、神田、浅草方面へと燃え広がり、死者は一万四千七百人と伝えられます。
【歴史】
明和の大火の原因は、大円寺に出入りしていた僧の放火とされます。盗みのために庫裏へ火を付けたとも、和尚に破門された恨みからとも伝えられ、この僧は捕らえられて火刑に処されました。昼過ぎに出た火は南西の風にあおられて白金や麻布、芝へ進み、京橋、日本橋から神田、下谷、浅草まで江戸の市街を帯のように焼いて、鎮まるまでにおよそ三日かかったとされます。
【特徴】
明和の大火の被害は、死者が一万四千七百人、行方不明者が四千人を超えたと伝えられますが、数字には資料によって幅があります。焼けた大名屋敷や寺社もそれぞれ百を超えたとされます。火元となった大円寺は責めを負って、その後76年にわたり再建を許されず、ようやく建て直されたのは江戸時代も終わりに近い嘉永年間のことでした。
【見どころ】
大円寺の境内には、大火の犠牲者を弔うためにつくられたとされる五百羅漢をはじめ、釈迦三尊像などおよそ520体の石仏が斜面にぎっしりと並び、東京都の有形文化財に指定されています。石工が約50年をかけて彫り上げたと伝えられ、一体ずつ表情が異なります。寺の前を通る行人坂は勾配が急で、坂の上に立つと目黒川の谷へ下っていく地形がよくわかります。
【トリビア】
明和九年という年は、語呂が「めいわく」に通じることから不吉な年とささやかれ、大火のあと同じ年のうちに元号が安永へ改められたと伝えられます。また行人坂の名は、江戸の初めに湯殿山の行人である大海法印が坂の途中に大日如来を祀るお堂を開き、多くの行人がここで修行したことに由来するとされます。このお堂が、のちの大円寺の始まりです。
