【概要】
片倉景綱は、弘治3年(1557年)に米沢の八幡社の神職の家に生まれた伊達家の重臣で、通称の小十郎の名で広く知られます。幼い政宗の守り役となり、のちには軍師として合戦の策を練り、豊臣秀吉への小田原参陣を進言して伊達家の危機を救いました。慶長7年(1602年)に白石城を預けられ、片倉家はそこから幕末まで代々の白石城主を務めました。
【歴史】
片倉景綱は、政宗の父の伊達輝宗に見いだされて仕え、やがて幼い政宗の守り役を任されました。姉の喜多は政宗の乳母で、姉弟そろって若君を育てたことになります。政宗が家督を継ぐと側近として戦に従い、天正13年(1585年)の人取橋の戦いや、天正17年(1589年)の摺上原の戦いで知略を振るいました。翌年には秀吉の小田原攻めへの参陣を強く勧め、伊達家の存続につなげたと伝えられます。
【特徴】
片倉景綱は、冷静な判断で先を読む知将として語られる人物です。政宗が秀吉に従うか戦うかで揺れたとき、天下の大勢を見て参陣を説いた話はよく知られています。笛の名手でもあったといわれ、武骨一辺倒ではない教養人の一面もうかがえます。秀吉から直臣として大名に取り立てる話を持ちかけられても、政宗への忠義を理由に断ったと伝えられ、主君ひとすじの生き方が今も慕われています。
【見どころ】
宮城県白石市にある白石城は、片倉家の居城として幕末まで受け継がれた城です。一国一城令のもとでも例外として残され、仙台藩の南の守りを担いました。平成7年(1995年)には三階櫓が木造で復元され、高い石垣の上に白壁の櫓が立つ姿を間近に見られます。城下の傑山寺には景綱の墓があり、墓石の代わりに一本の杉が植えられていることで知られています。
【トリビア】
小十郎という名は片倉家の当主が代々受け継いだため、景綱のあとにも多くの小十郎がいます。景綱の子の重長は大坂の陣で病の父に代わって出陣し、その勇猛さから鬼小十郎と呼ばれました。景綱は元和元年(1615年)に世を去り、政宗の天下取りの夢を最後まで見届けることはありませんでした。幼い政宗の目の治療をめぐる逸話も伝わりますが、確かな記録はなく伝説として語られています。
