【概要】
政府の高官と書家という二つの顔をもつ巌谷一六は、天保5年(1834年)に近江国水口の藩医の家に生まれました。明治政府では内閣大書記官や元老院議官を務め、そのかたわら楊守敬から六朝の書法を学んで、柔らかく温かみのある独自の書風を築いています。童話作家の巌谷小波の父でもあり、滋賀県甲賀市にある水口歴史民俗資料館には、親子を紹介する記念室が設けられています。
【歴史】
巌谷一六は本名を修といい、水口藩の藩医の家に生まれて、若いころは医学のほか書や漢詩も学びました。明治維新後は新政府に出仕し、内閣大書記官や元老院議官を歴任して、のちに貴族院議員にも選ばれています。公務のかたわら書の研究を続け、明治13年(1880年)に来日した楊守敬と筆談を重ねて、中国の書の歴史や碑の書法について熱心に学びました。
【特徴】
一六の書は、江戸時代後期に人気を集めた巻菱湖の流れをくむ書風から出発し、楊守敬との交流を通じて六朝の碑の骨格を取り入れました。それでも鋭さを前面に出すのではなく、丸みのある線と穏やかな筆の運びで、親しみやすい雰囲気にまとめているのが持ち味です。この書風は一六流と呼ばれて広く慕われ、楷書や行書の手本としても多くの人に学ばれました。
【見どころ】
滋賀県甲賀市にある水口歴史民俗資料館は、東海道の宿場町として栄えた水口宿の歴史や、毎年4月に行われる水口曳山祭の曳山などを紹介する施設です。館内には巖谷一六・小波記念室が設けられ、一六の書や小波ゆかりの資料が並びます。近江鉄道の水口城南駅のすぐそばにあり、近くの水口城跡や旧東海道の町並みとあわせて歩くと、一六が育った城下町の姿をしのべます。
【トリビア】
一六という雅号は、勤めていた役所の休みが一と六のつく日だったことに由来するという説が知られています。官僚として忙しく働きながら書を愛した一六らしい逸話です。息子の巌谷小波は『こがね丸』などで日本の児童文学を切り開き、親子二代で文化に名を残しました。地元の水口では、名字を本来の字体で巖谷と書き表すことが多くなっています。
