【概要】
林子平は、元文3年(1738年)に江戸で生まれ、兄に従って仙台藩に移り住んだ江戸時代中期の経世家です。長崎などで海外の事情を学び、外国の脅威にいち早く備えるよう説いて『三国通覧図説』と『海国兵談』を著しました。幕府の咎めを受けて仙台で蟄居したまま世を去り、その墓は宮城県仙台市青葉区にある龍雲院の境内に残っていて、国の史跡に指定されています。
【歴史】
林子平は幕臣の家に生まれましたが、父が職を離れたため叔父のもとで育ち、兄が仙台藩士に取り立てられると、その縁で仙台へ移りました。自らは仕官を許されない無禄の身のまま、江戸や長崎にたびたび足を運び、オランダ商館の人々や蘭学者と交わって世界の情勢を学びます。その見聞をもとに、日本の周りの国々を地図と文章で示した『三国通覧図説』を天明年間に著しました。
【特徴】
主著の『海国兵談』は、四方を海に囲まれた日本では海の守りこそ急務であると説き、外国の船が江戸湾まで入り込む危うさを訴えた兵学書です。江戸の日本橋から唐や阿蘭陀まで境のない水路であるという一節はよく知られています。引き受ける版元がなく、林子平は自ら版木を用意して寛政3年(1791年)にわずか38部を刊行しましたが、翌年に幕府から版木を没収されました。
【見どころ】
宮城県仙台市青葉区にある龍雲院は、仙台の北の丘に寺々が並ぶ北山の一角にあり、境内に林子平の墓が残っています。罪を受けた身として葬られたため当初は墓が建てられず、天保13年(1842年)になって甥が墓碑を建てました。墓は昭和17年(1942年)に国の史跡に指定されています。寺のある子平町という町名も、林子平にちなんで名付けられたものです。
【トリビア】
蟄居を命じられた林子平は、親も無し妻無し子無し版木無し金も無けれど死にたくも無しと詠み、自ら六無斎と号しました。処罰と同じ寛政4年(1792年)には、ロシアの使節ラクスマンが根室に来航し、警告は早くも現実のものとなります。林子平は寛政5年(1793年)に56歳で亡くなりましたが、その先見の明は幕末から明治にかけて改めて高く評価されました。
