【概要】
尾藤二洲は、伊予国の川之江、いまの愛媛県四国中央市川之江町に生まれた朱子学者です。大坂で片山北海の塾に学び、頼春水や古賀精里と親しく交わりました。寛政3年(1791年)に幕府に招かれて昌平黌の儒官となり、柴野栗山とともに聖堂の教育を支えています。生まれ故郷の川之江には、郷土の学者をたたえる記念碑が建てられています。
【歴史】
尾藤二洲は燧灘に面した港町の川之江で育ち、幼いころに足を痛めて不自由な身になったと伝わります。体を使う仕事に就くことが難しいなかで学問に打ち込み、のちに大坂へ出て片山北海に師事しました。北海を中心とする詩文の結社である混沌社に加わり、町人や医者、武士が身分を越えて集う大坂の学芸の場で、詩と学問の腕を磨いていきました。
【特徴】
尾藤二洲は大坂でさまざまな学派に接するなかで、やがて朱子学こそ正しい学問であると確信するようになりました。その考えをまとめた『正学指掌』は、学問の筋道を朱子学に定めるべきだという立場を明快に説いた書物です。この主張は柴野栗山らの考えと響き合い、幕府が聖堂の学問を朱子学に定める寛政異学の禁の流れを、学問の面から支えたと評価されています。
【見どころ】
愛媛県四国中央市にある尾藤二洲記念碑は川之江町に建ち、ここが二洲の生まれ故郷であることを伝えています。JR川之江駅から歩いて15分ほどの静かな場所です。川之江は燧灘に面した港町で、海に近い小高い丘には川之江城の天守が再建され、城山から海と町並みを見渡せます。紙の町として知られる土地の歩みとあわせて巡ると、郷土の学者の面影がしのばれます。
【トリビア】
尾藤二洲の妻は、広島藩の儒者となった頼春水の妻の妹にあたります。このため二洲は、のちに『日本外史』を著した頼山陽にとって義理のおじにあたり、若い山陽が江戸に遊学した際には、昌平黌の二洲のもとで学んだと伝えられます。大坂の塾で結ばれた縁が、親族として次の世代にまで続いたことになります。二洲は文化10年に江戸で亡くなり、墓は東京の大塚先儒墓所にあります。