大和三山は、奈良盆地の南に低く並び立つ畝傍山・耳成山・天香久山の三つの山をまとめて呼ぶ名です。いずれも標高二百メートルに届かない小さな山ですが、万葉集では人のように妻を争う姿に見立てて詠まれ、三山に囲まれた平野の中央には日本で初めての本格的な都である藤原京が営まれました。2005年には三山そろって国の名勝に指定され、古代の都の記憶をとどめる風景として守られています。
A.標高およそ199メートルの畝傍山が最も高く、天香久山が152.4メートル、耳成山がおよそ140メートルで最も低い山です。三山とも標高二百メートルに届かない小さな山ですが、畝傍山は三山のうちでいちばん堂々とした山容を見せます。
A.中大兄皇子の三山歌では、山を人に見立て、香具山と耳成山が畝傍山をめぐって争ったと詠まれています。天香久山は万葉集のなかで十三首に登場し、三山でいちばん多く詠まれた山で、舒明天皇の国見の歌や持統天皇の歌がよく知られています。
A.天から降ってきた山という伝承があるためです。伊予国風土記には、天から落ちてきた山が二つに分かれ、一方は伊予国の天山に、もう一方が大和国の天加具山になったと記されています。この降臨の物語から、三山のうちこの山だけが天を冠して呼ばれてきました。
A.三山に囲まれた平野の中央に、日本で初めての本格的な都である藤原京が営まれました。耳成山は都の北の端を示す目印の役割も担いました。三山とも奈良県橿原市にあり、直線距離は畝傍山から耳成山と天香久山がそれぞれ約3km、耳成山と天香久山が約2kmです。
A.耳がないのは余りがないことで、欠けたところのない整った山を意味するという説が広く知られています。耳成山はどの方向から眺めてもほぼ左右対称の円錐形に見える山で、登山口の鳥居に刻まれた耳無山という表記もこの読み方を裏づけるものです。