【概要】
斯波氏は、足利氏の一門で、越前・尾張・遠江の守護を兼ねた有力な家です。足利尾張家とも呼ばれ、斯波義将が若くして幕府の執事となり、のちに管領として長く政務を支えました。当主が代々兵衛府の官に任じられたことから武衛家と呼ばれましたが、15世紀半ばの家督争いが応仁の乱の一因となり、領国の実権はやがて朝倉氏や織田氏に移っていきました。
【歴史】
斯波氏の祖は、鎌倉時代に足利泰氏の長男でありながら嫡流を外れた家氏で、陸奥国の斯波郡を所領としたことから斯波を名乗るようになったとされます。南北朝の動乱では高経が足利尊氏に従って越前で新田義貞と戦い、子の義将は1362年にわずか13歳で幕府の執事に就きました。義将はのちに管領として、三代義満から四代義持の時代までの政務を支えました。
【特徴】
斯波氏の当主は代々、兵衛府の長官や次官に任じられ、その唐名から武衛家と呼ばれました。三管領のなかでも家格は最も高いとされ、最盛期には越前・尾張・遠江の三か国の守護を兼ねています。ただし当主は京都に住んで幕政に関わるのが常で、領国の支配は守護代に任せていました。越前の甲斐氏や朝倉氏、尾張の織田氏は、こうした守護代や重臣の家から力を伸ばしました。
【見どころ】
愛知県清須市にある清洲城は、1405年に尾張守護の斯波義重が、守護所の下津城の別郭として築いたのが始まりといわれます。下津が焼けたのちに守護所が清洲へ移ったと伝わり、斯波氏の居館が置かれたこの地から守護代の織田氏が台頭しました。いまの天守は1989年に五条川のほとりに建てられた模擬天守で、城の歩みを伝える資料が展示されています。
【トリビア】
京都にあった斯波氏の屋敷は武衛陣と呼ばれ、のちに十三代将軍足利義輝がその跡に御所を構えたため、武衛陣の御所とも呼ばれました。尾張では1554年に当主の斯波義統が清洲で守護代家の織田信友の家臣に討たれ、子の義銀は織田信長を頼りました。しかし義銀もやがて尾張を追われ、三管領の筆頭とされた斯波氏は守護の座から姿を消しました。
