【概要】
福井県坂井市にある城。現存天守の中で最も古い建築様式を持つとされる(建造年代説あり)。屋根瓦に石瓦を使用しているのが特徴。別名「霞ヶ城」。
【歴史】
戦国時代の天正4年(1576年)、織田信長の命を受けた柴田勝家の甥・柴田勝豊によって築城されました。北陸地方で唯一の現存天守として知られています。1948年の福井地震で石垣もろとも一度倒壊してしまいましたが、地元の人々の強い熱意により、倒壊した元の部材(古材)を可能な限り再利用して修復・再建されました。そのため、再建扱いではなく重要文化財の地位を維持し続けています。
【特徴】
丸岡城の最大の特徴は、屋根全体が「石瓦(しゃくだに石)」で葺かれていることです。福井の厳しい冬の寒さや積雪に耐えるため、普通の瓦ではなく、寒さに強く水を通さない笏谷石(しゃくだにいし)が使われています。この石瓦は一枚で20kg〜60kgもあり、天守全体では約6000枚、合計120トンもの重量になりますが、それを支える強固な構造も見事です。また、外観は二層三階の望楼型天守です。
【見どころ】
城内に入ると、その急な階段に誰もが驚かされます。特に天守一階から二階へ上がる階段は65度(ほぼ梯子と同じ角度)という凄まじい急勾配で、備え付けのロープを使って、手すりをしっかり握って登る必要があります。「日本一急な階段」とも言われ、登城の際の良い思い出(と筋肉痛の原因)になります。天守最上階からは、広大な坂井平野を一望でき、天気が良ければ日本海まで見渡せます。
【トリビア】
別名「霞ヶ城」の由来は、合戦の際に井戸から大蛇が現れて城全体を霞(かすみ)で覆い隠し、敵から守ったという不思議な伝説によります。また、「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」という日本一短い手紙で知られる徳川家康の忠臣・本多重次(作左衛門)は、後に丸岡城主となった本多成重の父親であり、城内にはその手紙を刻んだ石碑が立っています。


