厳島の戦い

(いつくしまのたたかい)
📍 広島県 廿日市市🏯 歴史⛰️ 名所

【概要】

厳島の戦いは1555年に起きた日本三大奇襲の一つ。毛利元就が陶晴賢の2万の軍勢を厳島に誘い込み、暴風雨の中で奇襲を仕掛けて壊滅させた。水軍の調略と地の利を活かした謀略により、毛利氏は中国地方の覇者となる転機を掴んだ。

【歴史】

厳島の戦いは天文24年(1555)10月1日、安芸国の厳島(広島県廿日市市)で毛利元就と陶晴賢が激突した合戦である。晴賢は主君の大内義隆を討って大内家の実権を握った武将で、元就は当初これに従ったが、やがて決別した。元就は前年に厳島の宮尾城を築いて守兵を置き、晴賢を島へ誘い込む布石を打った。晴賢は約2万の大軍で島に渡り、塔の岡に本陣を構えて宮尾城を攻めた。

【特徴】

毛利軍は約4千と伝わり、兵力差は5倍に及んだ。元就は家臣の桂元澄に偽の内応を申し出させるなど謀略を重ね、狭い島に大軍を閉じ込めた。9月30日の夜、暴風雨をついて包ヶ浦に上陸し、翌朝には博奕尾の尾根を越えて陶軍本陣の背後を急襲。小早川隆景の隊は海側から攻め、村上水軍の来援で制海権も握ったとされる。退路を断たれた陶軍は壊滅し、晴賢は大江浦で自刃した。

【見どころ】

宮尾城跡は宮島桟橋近くの要害山にあり、厳島の戦いを解説する案内板が立つ。陶軍が本陣を置いた塔の岡には五重塔と豊国神社(千畳閣)が建ち、当時の見晴らしを体感できる。毛利軍の上陸地とされる包ヶ浦や博奕尾の尾根道も歩くことができ、合戦の足取りをたどれる。厳島神社や大聖院と組み合わせれば、信仰の島と合戦の島という二つの顔をあわせて味わえる。

【トリビア】

厳島は島全体が厳島神社の神域とされ、血で汚すことは禁忌だった。戦後、元就は戦死者の遺体を対岸の大野へ運び、血の付いた土を削って社殿や回廊を海水で洗い清め、7日間の神楽と万部経会を営んだと伝わる。厳島の戦いの勝利で毛利氏は大内領を吸収し、中国地方の覇者への道を開いた。桶狭間の戦い、河越城の戦いと並ぶ日本三大奇襲の一つに数えられている。

📅 最終更新: 2026/9/6
厳島の戦い
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です