【概要】
一条天皇の側近として朝廷を支えながら、優美で端正な書を残したのが藤原行成です。天禄3年(972年)に摂政藤原伊尹の孫として生まれ、権大納言にまで昇りました。その書は権跡と呼ばれ、和様の書を完成させたと評されます。京都の桃園にあった邸宅を氏寺の世尊寺に改め、子孫はその名を取った世尊寺流として、長く宮廷の書を担いました。
【歴史】
藤原行成は数え3歳で父の義孝を亡くし、後ろ盾の弱いまま官人の道を歩み始めました。長徳元年(995年)に一条天皇の蔵人頭に抜擢されると、誠実な仕事ぶりで天皇と藤原道長の双方から厚く信頼され、のちに権大納言に昇ります。日記の権記には当時の政務が細かく書き留められています。万寿4年(1027年)、道長と同じ日に56歳で亡くなりました。
【特徴】
行成の書は、道風が開いた和様をさらに整え、穏やかで気品のある線と、行の流れの美しさを備えています。代表作の白氏詩巻は、寛仁2年(1018年)に唐の白居易の詩8首を行草体で書いたもので、東京国立博物館が所蔵する国宝です。巻末には子孫の藤原定信が行成の筆と鑑定した奥書が添えられています。行成は宮中でも重んじられ、内裏の額なども書きました。
【見どころ】
行成が建てた世尊寺は、桃園と呼ばれた邸宅を寺に改めたもので、平安京の北の端、現在の京都府京都市上京区の一条通の北側あたりにあったとされます。寺の建物はすでに失われていますが、一帯は西陣織の町として町家の連なる落ち着いた通りが続き、都の北辺だったころの面影を想像しながら歩けます。世尊寺の名は、行成の子孫が伝えた書の流派の名として今に残っています。
【トリビア】
行成は清少納言と親しく、枕草子には、夜更けに帰った行成の言い訳に清少納言が「夜をこめて鳥のそら音ははかるとも よに逢坂の関はゆるさじ」と返した話が描かれています。また行成は夢で道風に会って書の教えを受けたと日記に記したと伝えられ、先達への深い敬意がうかがえます。世尊寺流は子孫の行季の代まで続き、宮廷の書の手本となりました。
