三蹟

三蹟

平安時代の中ごろ、唐の書風を手本にした書から、日本人の感覚に合ったやわらかな和様の書が生まれました。その流れを築いた小野道風・藤原佐理・藤原行成の三人を三蹟と呼び、三跡とも書きます。三人の書はそれぞれ野跡・佐跡・権跡とたたえられました。平安時代初めの三筆(空海・嵯峨天皇・橘逸勢)が唐の書を極めたのに対し、三蹟は日本独自の書の美しさを確立した人々として並び称されます。

日本名数>三蹟
小野道風
🎭 文化🏯 歴史
📍 愛知県 春日井市

小野道風

(おののみちかぜ)

三蹟のうち最も早く生まれたのが小野道風で、寛平6年(894年)に参議小野篁の孫として生を受けました。醍醐・朱雀・村上の三代の天皇に仕え、宮中の屏風や額の文字を数多く書いています。王羲之に学んだ唐風の書に日本的なふくよかさを加え、和様の書の祖と仰がれました。愛知県春日井市にある道風記念館は、道風の誕生地と伝えられる松河戸町に建てられた書の美術館です。

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藤原行成
🎭 文化🏯 歴史
📍 京都府 京都市上京区

藤原行成

(ふじわらのゆきなり)

一条天皇の側近として朝廷を支えながら、優美で端正な書を残したのが藤原行成です。天禄3年(972年)に摂政藤原伊尹の孫として生まれ、権大納言にまで昇りました。その書は権跡と呼ばれ、和様の書を完成させたと評されます。京都の桃園にあった邸宅を氏寺の世尊寺に改め、子孫はその名を取った世尊寺流として、長く宮廷の書を担いました。

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藤原佐理
🎭 文化🏯 歴史
📍 愛媛県 今治市

藤原佐理

(ふじわらのすけまさ)

大宰府へ向かう旅の途中で書かれた一通の詫び状、離洛帖で名高いのが藤原佐理です。天慶7年(944年)に関白藤原実頼の孫として生まれ、勢いのある草書で当代随一の名手とうたわれました。その書は佐跡と呼ばれます。大宰府から都へ戻る途中、伊予国で三島の神のために額を書いたという話が大鏡に残り、愛媛県今治市にある大山祇神社がその舞台とされています。

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❓ 三蹟のよくある質問

Q.三蹟と三筆はどう違いますか?

A.三筆が唐の書を極めたのに対し、三蹟は日本独自の書の美しさを確立した人々として並び称されます。三筆は平安時代初めの空海・嵯峨天皇・橘逸勢、三蹟は平安時代の中ごろの小野道風・藤原佐理・藤原行成です。三蹟は、唐の書風を手本にした書から、日本人の感覚に合ったやわらかな和様の書を築きました。

Q.三蹟の三人の書風にはどんな違いがありますか?

A.小野道風は唐風の書に日本的なふくよかさを加えて和様の書の祖と仰がれ、藤原佐理は筆を大きくひるがえす奔放な草書で三蹟のなかでも最も個性が強いといわれ、藤原行成は穏やかで気品のある線で和様の書を完成させたと評されます。三人の書はそれぞれ野跡・佐跡・権跡とたたえられました。

Q.三蹟のなかで最も早く生まれたのは誰ですか?

A.最も早く生まれたのは小野道風で、寛平6年(894年)の生まれです。続いて藤原佐理が天慶7年(944年)、藤原行成が天禄3年(972年)に生まれました。道風の書は野跡と呼ばれて手本とされ、のちの佐理や行成に受け継がれていきます。行成は夢で道風に会って書の教えを受けたと日記に記したと伝えられます。

Q.三蹟の代表作にはどんなものがありますか?

A.小野道風の屏風土代、藤原佐理の離洛帖、藤原行成の白氏詩巻が代表作で、いずれも国宝です。屏風土代は漢詩を屏風に清書する前の下書き、離洛帖は大宰府へ下る途中に書いた詫び状、白氏詩巻は唐の白居易の詩8首を行草体で書いたものです。所蔵は順に宮内庁三の丸尚蔵館、荏原 畠山美術館、東京国立博物館です。

Q.三蹟のゆかりの地はどこにあり、どのくらい離れていますか?

A.小野道風は誕生地と伝わる愛知県春日井市、藤原佐理は大鏡の額の話の舞台とされる愛媛県今治市の大山祇神社、藤原行成は世尊寺があったとされる京都府京都市上京区がゆかりの地です。直線距離で最も近いのは春日井市と京都市の約110km、最も離れているのは春日井市と今治市の約380kmです。

📍 所在地マップ

愛知県愛媛県岡山県岐阜県広島県香川県三重県滋賀県大阪府徳島県奈良県福井県兵庫県和歌山県132小野道風藤原佐理藤原行成50 km地図データ: Natural Earth
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