筑後川の戦い

(ちくごがわのたたかい)
📍 福岡県 久留米市🏯 歴史⛰️ 名所

【概要】

筑後川の戦いは1359年に筑後川流域で行われた日本三大合戦の一つ。南朝方の征西将軍・懐良親王軍と北朝方の少弐頼尚軍が激突した南北朝時代最大の合戦。両軍合わせて死傷者1万人以上とも伝わる激戦で、九州の南北朝争乱の帰趨を決した戦いとして知られる。

【歴史】

筑後川の戦いは、南北朝の争乱が九州へ波及するなかで起こった合戦です。後醍醐天皇の皇子で征西将軍として九州へ下った懐良親王は、肥後の菊池武光に支えられて勢力を広げ、北朝方で大宰少弐を務めた少弐頼尚と鋭く対立しました。正平十四年、北朝の年号では延文四年にあたる1359年の夏、両軍は福岡県久留米市を流れる筑後川を挟んで対陣し、九州の覇権をかけた決戦に臨みます。

【特徴】

北朝方が大保原に本陣を置いたことから、この合戦は大保原の戦い、あるいは大原合戦とも呼ばれています。兵力は南朝方が四万、北朝方が六万とも伝わり、両軍合わせて十万に及ぶ大軍が正面から激突しました。戦死者は五千四百余、負傷者は二万五千に達したとされ、元寇を上回る被害を出したともいわれます。筑後川の戦いが日本三大合戦に数えられる理由も、この規模と凄惨さにあります。

【見どころ】

主戦場となった大保原は現在の小郡市域にあたり、両軍の戦死者を弔ったと伝わる将軍藤の大中臣神社など、ゆかりの地が点在しています。菊池武光が血に染まった太刀を洗ったと伝わる小川は太刀洗の地名の由来とされ、今も大刀洗町の名として残ります。福岡県久留米市を流れる筑後川の堤防に立てば、十万の兵が対峙したという広大な河川敷を見渡すことができ、六百年以上前の激戦に思いを馳せられます。

【トリビア】

この戦いでは懐良親王自身も傷を負い、菊池武光も血路を開いて奮戦したと伝わるほどの乱戦でした。勝利した南朝方はその後に大宰府を制圧し、九州は一時的に南朝の支配下へと入ります。こうして築かれた征西府の全盛は、のちに明の皇帝が懐良親王を日本国王良懐と呼んで倭寇の取り締まりを求める交渉を持ちかける契機にもなりました。地方で行われた合戦としては異例の規模と影響力をもった戦いだったのです。

📅 最終更新: 2026/9/6
筑後川の戦い
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です