歌舞伎の三大名作

歌舞伎の三大名作

歌舞伎の三大名作は、菅原伝授手習鑑・義経千本桜・仮名手本忠臣蔵の三作を指す呼び名です。いずれも1746年から1748年にかけて、大坂の竹本座で人形浄瑠璃として一年に一作ずつ初演され、竹田出雲・三好松洛・並木千柳らの合作として生まれました。まもなく歌舞伎にも移されて義太夫狂言の代表作となり、浄瑠璃の三大名作とも呼ばれます。250年以上たったいまも、文楽と歌舞伎の両方で上演が続いています。

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仮名手本忠臣蔵
🎭 文化
📍 兵庫県 赤穂市

仮名手本忠臣蔵

(かなでほんちゅうしんぐら)

仮名手本忠臣蔵は、赤穂藩の旧臣たちが主君の仇を討った元禄の赤穂事件を題材に、時代を南北朝の太平記の世界へ移して描いた全十一段の時代物です。1748年に大坂の竹本座で人形浄瑠璃として初演され、まもなく歌舞伎にも移されて大当たりをとりました。四段目では主君の切腹ののち、家老の大星由良助が城を明け渡し、城門の前で仇討ちを胸に誓います。

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義経千本桜
🎭 文化
📍 奈良県 吉野町

義経千本桜

(よしつねせんぼんざくら)

義経千本桜は、兄の源頼朝に追われる源義経の都落ちを縦糸に、壇ノ浦で滅んだはずの平家の武将たちが生き延びていたという趣向で描いた全五段の時代物です。1747年に大坂の竹本座で人形浄瑠璃として初演され、まもなく歌舞伎にも移されました。物語の後半は吉野が舞台で、義経がかくまわれる川連法眼の館に、静御前の持つ初音の鼓を慕う子狐が現れます。

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菅原伝授手習鑑
🎭 文化
📍 福岡県 太宰府市

菅原伝授手習鑑

(すがわらでんじゅてならいかがみ)

菅原伝授手習鑑は、平安時代の右大臣・菅原道真が藤原時平の讒言で筑紫へ流された事件を軸に、道真の恩を受けた三つ子の兄弟の運命を描いた全五段の時代物です。1746年に大坂の竹本座で人形浄瑠璃として初演され、まもなく歌舞伎にも移されました。寺子屋や車引の場面が名高く、道真の配所となった太宰府に伝わる飛梅の伝説も物語に織り込まれています。

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❓ 歌舞伎の三大名作のよくある質問

Q.歌舞伎の三大名作は、もともと歌舞伎として書かれた作品ですか?

A.いいえ、三作はいずれも大坂の竹本座で人形浄瑠璃として初演された作品です。まもなく歌舞伎にも移されて義太夫狂言の代表作となったため、浄瑠璃の三大名作とも呼ばれます。いまも文楽と歌舞伎の両方で上演が続いています。

Q.歌舞伎の三大名作は、どの順番で誰が作ったのですか?

A.三作は1746年の菅原伝授手習鑑、1747年の義経千本桜、1748年の仮名手本忠臣蔵の順に、一年に一作ずつ初演されました。いずれも合作で、竹田出雲・三好松洛・並木千柳の三人の名は三作すべてに並んでいます。菅原伝授手習鑑には、この三人に竹田小出雲も加わっています。

Q.歌舞伎の三大名作の題名には、どんな由来がありますか?

A.菅原伝授手習鑑の題名は、菅原道真が書道の奥義を元の弟子の武部源蔵に授ける筆法伝授の段に由来します。義経千本桜の千本桜は、終盤の舞台となる吉野山の桜に由来するといわれます。仮名手本忠臣蔵の仮名手本は、いろは四十七文字の手習いの手本を四十七士になぞらえたもので、忠臣蔵には忠臣の蔵と内蔵助の名が掛けられているといわれます。

Q.歌舞伎の三大名作の物語に描かれた土地はどこですか?

A.菅原伝授手習鑑は道真の配所となった筑紫を描き、福岡県太宰府市の太宰府天満宮に伝わる飛梅の伝説を織り込んでいます。義経千本桜は物語の後半が奈良県吉野町の吉野山を舞台にしています。仮名手本忠臣蔵の四段目の城明け渡しは兵庫県赤穂市の赤穂城の開城を下敷きにしていますが、芝居では塩冶判官の城として描かれます。

Q.義経千本桜の主役は源義経ではないのですか?

A.義経千本桜は題名に義経の名を掲げながら、実際の主役は平知盛・平維盛・狐忠信の三人だといわれます。三人が中心となる渡海屋と大物浦、すし屋、川連法眼館の段は、単独でも繰り返し上演されてきました。川連法眼館は四の切とも呼ばれ、早替わりや宙乗りなど、けれんの演出で知られます。

📍 所在地マップ

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